みんな幸せ2



あたくし、今はもう、あんまり覚えていないのですけど、あたくしの友人に、雪子お嬢様という方がいらして、その方がね。あの、お館の使用人に伝え聞いた話しか知らないのですけど。それから僅かな、あたくしの記憶を辿った証言によって、どうか、少しでも多くの方に、彼女のことを知っていただけたらいいと思うの。彼女の幸福のためにも、どうしても、知っていていただきたいのよ。


大雪の日に生まれたのだと聞いたわ。そうね。お正月も近くて、使用人達もみいんな出払っていて。お母様だってね、初めてのお産でしたし、不安でいっぱいだったはずだわ。だからあたくしが生まれたときは、そりゃあ、お父様も大慌てだったことでしょうね。

そういえばあのころは、あたくし、望まれて生まれてくることが、できたのかしら。あ、あの、ああ、あのね、あたくしが、いけなかったのよ。ただあたくしが、悪かったのだと思うの。小さな頃にきっと、恥をかかせてしまったのだわ。そう。そう、それに人間は、心変わりをするものですもの。あたくしに、相応の、愛情を得る魅力のなかったのが、いけなかったのよ。ね、わかるかしら。きっと、あたくしが失望するよりずうっと先に、お母様やお父様のほうこそ、あたくしにうんざりしていたのだわ。あたくしには、それだけの価値に見合う、努力が足りなかっただけなのだと思うの。このことは、あすこの喫茶店でお話ししたわね。紅茶一杯で、ずい分と長居してしまって。

本当に、ここはじめじめとしていて暗いわ。毎日、とってもつまらないの。そうね、色々とあったようなのだけれど、残念ね。ほとんど忘れてしまったわ。あたくし、そのう、ごめんあそばせ。あの、まず、今はといえば、とにかく体中が部屋中に散らばっているような、感じがするのよ。あたくしなんて、みいんな差し上げてしまいたかったのに。それなのに、どうしてあたくしには許されなかったのかしら。この、残りの部分は、神様に捧げればいいのかしら。ね、受け取ってくださるのかしら。こんな、彼らすら拒んだ、あたくしの。はあ。あたくしは、哀しいわ。こんなにも多くを、すっかり忘れてしまって。ねえ、なぜなのかしら。

なぜ、そんな風に立ち尽くしてしまうの。

あたくし、男の方に好きと言ってもらえたことが、あのときがいちばん最初で、あの、びっくりして、どうしていればいいのか、全くわからなかったの。だからあたくし、あたくしなりに尽くせやしないかしらと。ね、ズワイガニさん、あたくしのどこが好き。一体あたくしの、どこがお好きなのかしら。
「ううん。どこって。そうだな。細くて長くて、白い指とか、なんだろう。急に言われても、照れてしまうな。いやいや」
「あ、あ、気分を悪くされたのかしら。ごめんなさい、あたくしちっとも、わからなくって」
「いや、僕のほうこそ急に、すまなかったね。驚かせてしまって。あ、すぐにというわけじゃあ、ないんだ。ただ、知っていてもらいたくってね」
ね、ズワイガニさん。あたくし、あなたに気に入ってもらえたらと思って、一生懸命考えたのですけど、ほかに、何も思い浮かばなくって、その、これを、差し上げるわ。あなたが一番好きな、あ、氷で冷やしておいたから、保存状態には、自信があるのよ。
「なんだろう。雪子ちゃん、左腕は怪我をしてしまったのかな。可哀想に。白い包帯が、白い肌に映えて、すごく綺麗だよ」
「あら、まあ。これも、気に入っていただけたようで、嬉しいわ。あとで、お届けするのでよろしかったら、こちらも、差し上げますことよ」
本当よ。信じて。そこで、待っていてくださればきっと、きっとよ。
ズワイガニさん。ああ。
ああ。

シャンデリア。ダンスフロア。

おや、君はいつも隅のほうでうつむいて、一体どうしたっていうんだろうね。せっかく、そんなに素敵なのだから、もっとさ、顔を上げて、真ん中へ出ておいでよ。わあ。やわらかい髪だね。それに、なんて可愛い目をしているんだろう。君は。ああ。恋をしてしまいそうだ。
あら、ああ、困ったわ。ペプチド結合さん。あたくし、本当は踊ってみたいのよ。ほんとうは。だけど、だけどあなたと一緒に踊ろうにも、もう、左腕が、右足が、右手の薬指が、なくなってしまったの。ごめんなさい。ごめんなさいね、気を、悪くされてしまったのかしら。あたくしが、至らなくって、また、あたくしが、いけないんだわ。
ああ、ああ。酷い。違うよ。そうだったのか。違うんだ。いいのさ。ダンスなんて。僕の興味が、だからさ、どんなにか、辛かったろうね。辛かったろうね。
いいえ、そんな。こんな、あたくしの目が、可愛いだなんて言ってくだすった方、はじめてよ。お父様なんて、いつも、あたくしがちらりと見るだけで、そっぽを向いてしまうのに。お父様。たぶん、あたくしを嫌いなんだわ。あたくしの目が、いっとう、嫌いなんだと思うの。
そんなことはないよ。君のお父様は、誤解をしているんだ。だってほら、ご覧よ。君は、こんなにも美しいのに。そうだ、見つめずにはいられない、君のこの大きな黒い瞳が、堪らない。僕は。
「あ、あなたの仰ったことが本当なら、ね。受け取ってくださると思うのですけど、あたくし、どうしても、そこまで歩いていくことがなかなか、できなくって、だから使用人に、申し付けておいたのですけど、お手元にきちんと、渡ったのかしら。あたくしの愛情が、幸せになるために、あたくし、またほんのすこしだけ、不自由になってしまったけれども、後悔は、していなくてよ。ほら。ね、なんてすてきなのかしら。すてきよ。だってね、だって、他でもない、あなたに、あたくしを、幸福にしていただけるなんて・・・!」

あたくしは、みんなの幸福を祈っているの。ただただ、ひたすらに、祈っているのよ。秘密のお話をするとね、最近、使用人の娘の、祥子さんが、あたくしに良くしてくだすって、同い年くらいの優しい子で、あたくし、あの、あのこを、好きになってしまったのだわ。ね、お母様、お父様、あたくし、彼女が欲しいわ。欲しいわ。欲しいわ。彼女を、幸せにしてあげたいのよ。恋なの。純粋な、本物の、恋なのよ。
ああ、あ、なぜ、こんなに暗いところに、あたくしを置き去りにするのかしら。ねえ。なぜなのかしら。その目が、人差し指で触れると、天井に貼りついたあたくしの、つめたい眼差しが、あたくしを監視しているの。あなたが、そこに立っているのが、わかるわ。泣いているのがわかるの。ばらばらに散らばってしまってから、もう、だいぶ経つというのに、まだ不安だわ。まだまだ不安でいるの。本当にあたくしは、幸福になれたのかしら。どこ。祥子さん。今日は、どちらにいらして。毎日、会いに来てくだすったのに、急に、やっぱり、あたくしに、魅力がないのがいけなかったのだわ。そうに、違いないわね。うっ。

どうしてみんな幸せに、なることができないの。
あたくしは、世界を救えるのよ。まだまだ、空っぽだもの。たくさんを、味わうことができるわ。本を読んで聞かせて。その声をいただきたいの。いつまでも大切にあたくしの中にしまってあげるのに、あたくし、こんなに暗くてじめじめとしたところでは、忘れてしまいそうよ。どうして救ってくれないのかしら。あたくしはこんなにも、献身的に、尽くして参りましたのに、まだ不十分だったのかしら。
なぜ全ての愛を手にしておいて、不幸せだなんて言うことができるの。
どうしてみんな、幸せに、なることができないのよ。

「お名前を教えていただけますかな、お嬢さん」
なに。なにかしら。白い光が、見えるわ。眩しくて、空気が、あたくしを貫いて、うるさい。「雪子」「お医者様がいらしたわよ、雪子」
あ、ああ!お母様。お母様なの。まあ。あたくしに、会いにきてくだすったのだわ。なんて、それで、何ですって。ええと。
「お母様。そこに、雪子さんという方がいらっしゃるの?あたくしの、お友達だったかしら。ごめんなさい。最近色々と、記憶がはっきりとしていないのよ。」
「その、雪子さんのことなんだが、何か思い出せないかね。ちいさな、そう、些細なことでもいいんだ」
あなた。お医者様。
「それは、何か、誰かの優しさにとって、大切なことなのかしら」
「そう、そうだとも、雪子さん。大切なことなんだよ。いいかね。“彼女”と話したりしたことでも、なあんでもいいんだ。そら。覚えていないのかい。“彼女”は君に覚えていてもらえないと、可哀想なんだよ。本当に、可哀想なんだ」
あら、その方、他にお友達がいらっしゃらないの?可哀想ね。あたくしが、幸せにしてさしあげたいわ。
「そう、そう、君に幸せにしてもらいたがっているんだよ」
それで、その、雪子さんは、どこに行かれたのかしら。ここにいらっしゃるの?ああ。こんな、もはや、こんなあたくしなんかに、彼女を、幸せにできるものなのかしら。あたくし、既に、とっくに無力で、不十分なようなのに。
「大丈夫。雪子さんは君に幸せにしてもらえる瞬間を待っているんだよ。いつでも、そう。いつまでもね」
それじゃ、あたくしには、まだ、みんなを幸せにすることができる力が、どこかに残っているのかしら。そうだわ。彼女は、どうやってあたくしに出会ったの。どこか、行ったことのある場所を、思い出してみたいわ。一緒に。彼女と、流行りの喫茶店にも行ったり、したのかしら。
「行ったとも。おそらくね」
それじゃ、恋のお話なんかも、その方と、したのかしら。赤裸々に、何もかも、恥ずかしがらずに。したのかしら。どう。
「したろうね。おそらくは。そうだな。雪子さんは、君を、一番良く知っている人なんだよ」
いやだわ。そんなに近しい関係の方を、ぱっと思い出せもしないなんて。失礼よね。怒っているかしら。怒られてしまうかしら。怖いわ。きっと今頃は、あたくしには、失望していらっしゃるのでしょうね。
「そんなことはないよ。“彼女”はいつでも、そう。いつまでも待っているのだから」
「さあさ、お茶が入りましたよ。ね、お医者様。こちらにいらして。雪の中、ご苦労様です。ほら、ほら、雪子も疲れたでしょ。お眠りなさいね、おやすみなさい」

まあ、ああ。まるで、あの日のようだわ。確か、祥子さんの、
あ、お母様、大雪の日にね、








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